

響きというものは...
私が「響き」というものを現在にまで理解するのに時間がかかりました。 才のある人は音に出会った時から瞬時にわかるものかもしれませんが、私には先生が必要でした。 それを知る事が私に必要だと教えてくれる先生が。 ある時に読んでいた小説でこんなくだりがありました。 舞台は第二次世界大戦中の空襲を受けているロンドンで、主人公は住宅街を逃げて走っています。レンガ積みの家々が空襲ですっかり崩れ落ちてしまい、3階建てだったはずがほんの瓦礫の小山になっていました。 それを見た主人公はこんな風に思いました。 「大きな建物だと思っていたのに、潰れてしまえばたったこれだけのレンガだ。 建物を構成していた多くは『空間』だったのだ。」と。 主人公の想いは音楽とまったく関係のないものですが、私には、これって音楽だ!というひらめきでした。 楽譜を開けば音符がたくさん並んでいますが、それが演奏される時には実は、音符と音符の間の『空間』、つまり響きで音楽は出来上がって行くのです。 長い間、私は楽譜をみては音符を順番に弾いていました。今ではそれは薄く平坦な演奏にしかならないと分かりま


音というものは...
音というものは目に見えない捉え所のないものだけれど、音楽になると何かの印象や具体的な情景、景色、あるいは温度や色、手触り、匂いなど様々なイメージになって私たちに訴えて来ます。 頭の中にそれらのような刺激がやってきて、それを楽しむというのがわりとよくある事ですが、物凄い演奏に出会った時は、自分自身がそのイメージの中に放り込まれたような感覚がしたものです。 木越先生が福岡でレッスンをされるようになって、初めてその音を聴かせて頂いた時は、なんて立体的なんだろうと思いました。音が立体的だなんておかしいですが、そこには「時間」というものが関わっていて、すでに鳴った音(過去)今鳴っている音(現在)次に鳴ろうとしている音(未来)が重なり合って立体感を作るのかしらと思います。 木越先生はチェロを弾きながら、部屋の中のどこに音が溜まっているのかわかるそうです。 コウモリみたい。 それでいつも演奏会のリハーサルでは、音楽ホールでも小さなサロンでも、入念に音だしをされるのですね。 まだまだ私はその域には達していません。 とりとめなく書いてしまいますが、 音楽で使われる


遅い弓の効用
先日の日曜日はアンサンブル・オーアの合奏練習でした。 このアンサンブルは私の生徒さんだけでなく、他のお教室でレッスンを受けていらっしゃる方もたくさんおられます。なぜかというと、オーアは2015年5月の「1000人のチェロコンサートin仙台」に出演するため、福岡で練習会を重ねて来た仲間だったからです。 コンサートが終わっても、アンサンブルが楽しかった、まだ続けたいという声に応えて、私がリーダーとなってチェロアンサンブルグループとして発足し、さらに新しいメンバーも加わっています。 オーアは20名強のアンサンブルですが指揮者を置いていません。 本当は指揮があったほうが落ち着いて演奏できるとは思うのですが、出来るだけメンバーがそれぞれじぶんの耳のアンテナを使って、周りとのコンタクトを取りつつ演奏するようになっていきたいからです。だからグループの名前はオーアohr、ドイツ語の「耳」なのです。 さて、一口に耳を使う、音をよく聴くといっても、言うほど簡単ではありません。 最初に思う疑問は「聞こえているのに、なぜもっと聴けと言われるのだろう?」ということかもしれ